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事業内容

過去の事業

しまね情報化フォーラム'98開催

基調講演
企業の研究所、大学の研究所、各省庁の研究所の役割

 大学の研究者総数の67万人、このうち事務社会を入れますと理工学がだいたい60万弱でございます。筑波大学では現在のところ13,000人ほどおりまして、研究開発費が約0.4兆使っているという訳でございます。筑波の学園都市を作るということは1960年代の中頃閣議決定できたのですが、現実に筑波大学が今年25周年をやりました。諸々研究者がだいたい20年くらい歴史があるわけで、いったい筑波でどんなことをやってきたかと、筑波全体、筑波というのは今までどちらかと言いますと各省庁が研究所を持っておりまして、文部省が筑波大学と高エネルギー物理研究所がございます。通産省が電子総研その他の研究所を持っています。科学技術庁、農水、建設それぞれのものが持っておりまして、どちらかと言いますとそういう研究者は行政の枠内で仕事をしておりまして、筑波ではあまり交流がなかったと。そこでその交流を深めようと思いまして、筑波の科学者会議、筑波の人だけでなく内外の研究者を集めまして、またノーベル賞受賞者も集めまして、実は来年筑波サイエンス筑波フロンティアというものをやるつもりでございまして、その中で何か部門を決めなければいけないのですが、これは来年の11月でございますが、敢えて分けますと6つぐらいに先づ分けて、筑波でやっていることを申しますと、筑波にシングルトーンラジエーションといいましてタンパク質等の複雑な有機物質の○○○の技術が進んでいまして、これはコーネル物理研究所にあるシングルトーンラジエーションと結びつけて。ですから分子の構造から生命現象の本質に迫るというのが一つのテーマです。それからブレーンサイエンスは成長し発展する脳のことでございます。農業科学は植物ゲノムの研究。ご存じのように今人間のゲノムの研究が基礎ゲノムの研究が盛んにやられております。物質科学では○○○、地球科学、人間と自然との共存に地球科学の発達・役割と。これが筑波を代表すると言いますか、勿論農業は農水の研究所が中心でございますが、いろいろ研究所でオーバーラップする、つまり筑波にいろいろなものが沢山集まるその集積効果のようなものを利用しよう。それから、コミュニケーションを良くすることによってお互いに刺激をしあおうとするわけです。
 研究と一言で申しますと、先程申しましたように基礎研究とか応用とか開発とかありまして、どんな種類のものがあるかということを一寸申し上げますと、コーネリー物理学、天文学など応用を視野に入れず、自然界の基本に関する新知識・創造を目ざす基礎純粋研究です。先程のアトムといいますが、ニース・ボアという人が原子の解明に努力したわけです。ですからこういうタイプの研究をボーアタイプの研究という仇名をつけているのです。
 2番目は新課題への挑戦或いは新分野開拓を目指して、成果の応用を視野に入れたロングレンジな基礎研究です。新薬の探査というのもそれであります。私がやりました超光子というのもこの分野に属するわけです。こういう分野は何かアプリケーションというものを有すということを考えて、インスパイアーの研究というのはパスツールタイプと言っています。パスツールは皆さんご存じのように19世紀のフランスの研究者でいろいろなワクチンを開発した人です。第三番目には、新基盤技術開発で、長期の応用研究です。これは応用研究です。もう一つは新製品開拓の短期5 年以下の研究開発です。実用しか考えなかったエジソンタイプといわれる。ですから研究にはいろいろなタイプがある。大学というところはアカデミックリサーチということは1.2はだいたい大学でやる研究でございまして、企業は基本的には応用研究と開発研究の3.4です。筑波というところは国立の研究所がいっぱいあるわけです。13,000人と言いましても、だいたい70%が官で民が30%であり、官主導の地であります。官の研究所というのはだいたい2と3とをする。1と2は主として大学でやられる基礎研究、3と4は主として企業でやられる応用科学研究です。政府研究機関である工業技術院などの研究などは2と3にまたがっている。研究成果の活用というものは、企業化して○○○をはかるということは経済にインパクトを与えるので大きな意義がある。大学から企業へ、或いは政府研究機関の企業へテクノロジートランスファイということが、未だ十分行われていないということが問題だと思います。

ノーベル賞受賞者と億万長者

 科学と技術というものは時間と共に発展してまいるわけですが、これは非常に象徴的に科学と技術というものは同時に発展するかということを作っておくものでございまして、科学というのは新しいものが生まれるというプロセスです。技術はそれが育つというか。基礎、応用研究と言いますか。横軸が時間とともにある分野を考えますとそれが発展していくということを示しているわけです。新しい分野が開拓されるそのステップは、Aという科学者の貢献度のようなもので新しい分野が開拓される。分子性物理学、ワトソンとクリックが新しい分野を開拓したというものは、その後はその基礎研究が応用になり開発される。それからしばらく置きまして、新産業の開拓というものが結びつく。例えば分子性物理学から遺伝子工学というものが生まれるわけです。いろいろな半導体の物理学からと言っている。
 トランジスターが生まれるというそういう感じのものです。微生物学が1950年ぐらいにあらわれ、こういうものが出来始めたのはそれから20年後ぐらいに論議されたわけです。トランジスターが発明されたのは1947年で、世に初めて出したのは55年ですから、10年ぐらいということが言えるかも知れません。新産業は開拓されて初めて経済効果があり、社会へのインパクトというものがある。この辺を初めて知ったベンチャー企業は億万長者になれる可能性があるわけですし、ここを開発したらノーベル賞の候補になることもある。ノーベル賞と億万長者同時にはなれないということはこの図が示しているのです。

江崎トンネルダイオードの開発

 私のことを若干申し上げさせていただきます。私は大阪で生まれまして、大学は東京に行ったのですが、私の人生を四つぐらいに分けますと、小学校で、次に大学を卒業しましたのが昭和47年で神戸の神戸工業というところにおりまして、このときには始めは真空管の研究から始めたのですが、半導体トランジスターが発明されたのは1947年でございまして、それからソニーに行ってトンネルダイオードというものをソニーで作りました。それから60年から米国に参りまして、もう一生米国で過ごそうと思っておりまして、このときやっておりましたのが半導体量子構造のスーパーラティスというものの構想で、今年ジャパンプライズ日本賞をこのスーパーラティスでいただいたことがございます。
 それから筑波大学の学長に選ばれまして92年に帰った。私が何年住んでいたということ、私らモビィリティーの高い人間で、一生あちらこちら動き回っているという性格です。これは神戸工業にいた時に書いた最初の論文でございまして、真空管に関する仕事をした論文でございました。昔の話をしますと、専門講習会ということをやりまして、トランジスターについてというようなことを話したことがあります。これは大阪の中央電気クラブでございまして、関西支部での講演で、昭和28年、実は私の年というのは昭和年と同じなので28歳の人間が喋るということはトランジスターというものが若い人しか知らなかったということを意味するわけです。

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